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<title>遊美堂が紹介するこの一作　書道・文藝編</title> 
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<modified>2009-10-29T10:34:12Z</modified> 
<tagline><![CDATA[「遊美堂」が紹介するアートの世界、書道・文藝編。]]></tagline> 
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<title>風にたなびくように大胆に</title> 
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<modified>2009-10-29T01:34:05Z</modified> 
<issued>2009-10-29T10:34:05+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">風にたなびくような大胆な書線に、強く惹き込まれる。画面全体が揺れる様に、まるで柳の大木のように、書線は大きな流れを持っている。自らの感性を信じ、その渦に心身を投じるような思い切りの良い書線であり、その徹底した姿勢がまたとない美しい造形性を導き出している。...</summary> 
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<![CDATA[<img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/6/2/6203b8eb.jpg" width="160" height="487" border="0" alt="中村鳳仙春の夜" hspace="5" class="pict" align="left"  />風にたなびくような大胆な書線に、強く惹き込まれる。画面全体が揺れる様に、まるで柳の大木のように、書線は大きな流れを持っている。自らの感性を信じ、その渦に心身を投じるような思い切りの良い書線であり、その徹底した姿勢がまたとない美しい造形性を導き出している。大きな掠れの中央の行を左右の潤筆がはさみ、全体に濃淡のリズムをつけながら、空間性と動きを巧みに獲得しているのである。（文　フランコ・マウリッリ）<br>
<br>
<br>
Nakamura Hosen<br>
春の夜<br>
紙本墨書<br>
200×70cm]]> 
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<name>yubido05</name> 
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<title>命の蠢動</title> 
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<modified>2009-09-28T10:22:18Z</modified> 
<issued>2009-09-28T19:22:18+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">杉谷　大坡
Sugitani Taiha
命の蠢動
紙本墨書
102×69.7cm/2004</summary> 
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/c/6/c635a5c0.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/c/6/c635a5c0-s.jpg" width="159" height="236" border="0" alt="杉谷大坡" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>杉谷　大坡<br>
Sugitani Taiha<br>
命の蠢動<br>
紙本墨書<br>
102×69.7cm/2004]]> 
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<name>yubido05</name> 
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<title>理性に裏付けされた感情の表現</title> 
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<modified>2009-08-29T01:33:43Z</modified> 
<issued>2009-08-29T10:33:43+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">紙に滲む淡い墨が逞しい生命力を放っている。山本砕石氏の豪快にして、奔放な筆の動きが紙面で躍動している。しかし、ただ感情の赴くままに筆を走らせてはいない。技巧が感情に流されると、俗となる。それは個人の自己顕示欲による文字の羅列でしかない。しかし、この「敬愛...</summary> 
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/e/4/e40aa671.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/e/4/e40aa671-s.jpg" width="160" height="325" border="0" alt="山本砕石敬愛" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>紙に滲む淡い墨が逞しい生命力を放っている。山本砕石氏の豪快にして、奔放な筆の動きが紙面で躍動している。しかし、ただ感情の赴くままに筆を走らせてはいない。技巧が感情に流されると、俗となる。それは個人の自己顕示欲による文字の羅列でしかない。しかし、この「敬愛」という二文字からは、そのように感情に流され、コントロールを失い、人の意を解さないような奔放さは感じられない。氏は溢れるばかりの情熱に流されることなく冷静に筆を操り、始筆の感情の高ぶりから、その高ぶりの中においても落ち着きを持った終筆へと向かっている。ここに氏の書家として、また芸術家としての、表層的な表現に踊らない確固とした書家としての誇り、加えて深い精神性を観る思いがする。滲んだ墨の線を追っていくと、氏の筆の動きが光の残像のように、くっきりと見えてくるようである。この書の世界へと知らずに入り込んでいる自分に気付く。（文　フランコ・マウリッリ）<br>
<br>
山本　砕石<br>
Saiseki Yamamoto<br>
敬愛<br>
紙本墨書<br>
135×69cm<br>
2002年制作]]> 
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<name>yubido05</name> 
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<title>我々の心身へ劇的に働きかける強い波動</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51327239.html" />
<modified>2009-07-30T01:23:49Z</modified> 
<issued>2009-07-30T10:23:49+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">日本の文学史に名を残す、若山牧水の歌である。「草仮名」と呼ばれる書体で書かれている。日本語では漢字、ひらがな、カタカナという三種の文字がある。その文字が一つの文章の中に混在する。それらの文字は様々な書体によって、形を持ち、作品の方向を決めていく。文字は武...</summary> 
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/1/f/1f2ce6ba.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/1/f/1f2ce6ba-s.jpg" width="160" height="641" border="0" alt="武藤香風牧水の歌" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>日本の文学史に名を残す、若山牧水の歌である。「草仮名」と呼ばれる書体で書かれている。日本語では漢字、ひらがな、カタカナという三種の文字がある。その文字が一つの文章の中に混在する。それらの文字は様々な書体によって、形を持ち、作品の方向を決めていく。文字は武藤香風氏の個性により、新しい独自の形を持って、芸術作品へと高められていく。一行目は紙の端に寄り掛るような傾きを感じさせながらも、きちんと軸を保ち、下方に向かって筆が運ばれる。二行目に移る手前に、半行程の空白が空けられている。見る者はここで、行間に込められた氏のひと時の「間」を置いた吐息を感じるのである。二行目に入ると、文字には大胆なスピード感が感じられる。筆の勢いが増し、線質にスピード感がある。中盤以降、そのスピード感を和らげるように墨は濃く、筆は緩やかにスローダウンしていく。緩急織り交ぜた筆捌きが、書に生命を吹き込んでいる。（文　オーエン・ハント）<br>
<br>
武藤　香風<br>
Kofu Muto<br>
牧水の歌<br>
紙本墨書]]> 
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<name>yubido05</name> 
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<title>心を奪う運筆の快感</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51314450.html" />
<modified>2009-06-27T06:58:48Z</modified> 
<issued>2009-06-27T15:58:03+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:yubido05.51314450</id> 
<summary type="text/plain">石毛龍泉氏の作品の運筆には、快感がある。大きくしなやかに書線が伸びてゆく姿は、心を奪い、言葉を奪う美しさがある。余白という空間を意識させながら、またそれに消え入るように、書線は掠れてゆく。書道という分野の醍醐味が、氏の作品には多く詰まっている。空間を切る...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/c/b/cbc12642.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/c/b/cbc12642-s.jpg?160650" width="98" height="400" border="0" alt="石毛龍泉雨後" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>石毛龍泉氏の作品の運筆には、快感がある。大きくしなやかに書線が伸びてゆく姿は、心を奪い、言葉を奪う美しさがある。余白という空間を意識させながら、またそれに消え入るように、書線は掠れてゆく。書道という分野の醍醐味が、氏の作品には多く詰まっている。空間を切るように、時に物体が落下するように、また弾力のある回転をしながら、書線は動いてゆく。正に書線は生きているように、筆は生きているように運動して、紙という空間に定着するのである。書線を目で追い、運筆の追体験していると、紙と筆の接する強弱や墨の潤渇に乗せて、精神がゆるやかな起伏を帯びてくる。それは物を創造しているという高揚感、逆に爆発しそうな心を制御する抑制心、そしてただひたすらに安定した呼吸を刻む生命のリズム。そのような要素が心の中では静かに交差して、生きるという運動の可能性、その美しさを改めて実感するのである。（文　オーエン・ハント）<br>
<br>
石毛　龍泉<br>
Ryusen Ishige<br>
雨後<br>
紙本墨書<br>
190×50cm<br>
2006年制作]]> 
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<author>
<name>yubido05</name> 
</author>
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<title>ゆるやかに揺らぐ情緒ある文字</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51299315.html" />
<modified>2009-06-26T04:26:33Z</modified> 
<issued>2009-05-26T15:49:17+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:yubido05.51299315</id> 
<summary type="text/plain">横長の矩形に中に、静かに漂う煙のように文字が立ち昇っている。僅かな風でも揺らいでしまうような儚さがここには宿っている。細い線質で書かれた文字は、さらに消え入るようになりながら、またある所では墨が濃くなっている。覚醒した意識がその焦点の定まりを取り戻したか...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/2/7/27eac48c.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/2/7/27eac48c-s.jpg?16049" width="160" height="49" border="0" alt="西行のうた（二首）" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>横長の矩形に中に、静かに漂う煙のように文字が立ち昇っている。僅かな風でも揺らいでしまうような儚さがここには宿っている。細い線質で書かれた文字は、さらに消え入るようになりながら、またある所では墨が濃くなっている。覚醒した意識がその焦点の定まりを取り戻したかのようである。始筆はやや段を下げて、墨も濃い。二行目から八行目までの立ち昇るような文字の列が圧巻である。八行目の最後の文字でやや擦れて、そこから九行目に繋がっていく。九行目以降、段を下げて、文字の形も終盤へと向けて変化する。一枚の紙片が舞い落ちるように、下降しては上昇し、再び下降して、筆を置いている。文字と文字が滑らかに連動しつつ、行を作っている。それ故に、さらに行と行とが緩やかに繋がり、全体に一体感を生んでいる。段を下げた文字の無い空白の部分と、文字のある固まりの部分との配分も画面に心地良い風を送る事に功を奏している。（文　オーエン・ハント）<br>
<br>
武藤　香風<br>
Kofu Muto<br>
西行のうた　二首<br>
紙本墨書<br>
56×176cm<br>
2004年制作]]> 
</content>
<author>
<name>yubido05</name> 
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<title>繊細に人間という存在を拾ってゆく</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51285080.html" />
<modified>2009-06-26T04:26:33Z</modified> 
<issued>2009-04-25T15:48:53+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:yubido05.51285080</id> 
<summary type="text/plain">始筆から終筆まで誠実に筆が運ばれており、書道という行為を通して人間的な鍛練を重ねられているという印象である。書線には緊張感と自制心、そして向上心があり、書家自身と共に、観者である我々をも、高みに引き上げてゆくような力の強さを感じるのである。書道は単に美を...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
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<![CDATA[<img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/a/b/ab96faf5.jpg?157630" width="157" height="630" border="0" alt="野宮晋泉白草原願望" hspace="5" class="pict" align="left"  />始筆から終筆まで誠実に筆が運ばれており、書道という行為を通して人間的な鍛練を重ねられているという印象である。書線には緊張感と自制心、そして向上心があり、書家自身と共に、観者である我々をも、高みに引き上げてゆくような力の強さを感じるのである。書道は単に美を競うのみではなく、自己修養や古典との対話といった要素が多分に含まれている。野宮晋泉氏の作品は、そのような書道の幅の広さを感じさせるものであり、精神と肉体、感性と理性、そして日常と非日常が互いに強く結び付きながら、ひとつの美しい形を紡ぎだし、結実しているという印象である。行軸という秩序を保ちながら、個々の文字は微妙に揺れて変化を作り出している。これは決して画一的ではない人間という存在を繊細に拾っているように見え、興味深いものである。墨と筆というシンプルな素材において、深く広く人間を表してゆく書の力を感じることができる。（文　フランコ・マウリッリ）<br>
<br>
野宮　晋泉<br>
Shinsen Nomiya<br>
白草原願望～<br>
紙本墨書<br>
135×69cm<br>
1998年制作]]> 
</content>
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<name>yubido05</name> 
</author>
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<title>明快な書体が普遍的表現へと飛翔</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51268736.html" />
<modified>2009-06-26T04:26:32Z</modified> 
<issued>2009-03-27T20:11:42+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:yubido05.51268736</id> 
<summary type="text/plain">整然と並んだ隷書体であるが、その文字の並び方に独自の配置方法がある。まるでブロックを一つずつずらしていくように、二列目の始まりは一段下げ、最後は一段上げている。さらに四列目では、それまで一列八文字で表現していたものを、一列十文字に増やし、それを一文字分重...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51268736.html">
<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/9/0/9012d16a.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/9/0/9012d16a-s.jpg?159101" width="159" height="101" border="0" alt="太田心郷" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>整然と並んだ隷書体であるが、その文字の並び方に独自の配置方法がある。まるでブロックを一つずつずらしていくように、二列目の始まりは一段下げ、最後は一段上げている。さらに四列目では、それまで一列八文字で表現していたものを、一列十文字に増やし、それを一文字分重なるようにして左へとずらしている。それらの大きな固まりと左側の大きな固まりとの配置も一文字分ずらして配置されている。文章で書くと回りくどくなるが、作品を見るとその配置に何かの法則があるかのように、意味深く見えてくるから不思議である。このずらしによって空けられたスペースが、行間をより深いものにして平面的な作品に立体感を与えている。文字は一つ一つ、濃い墨で明確に書かれていて、清清しい。その運筆は自信に溢れ、迷いが無い。その文字の潔さがこのような配置に強い説得力を持たせ、太田心郷氏のオリジナリティであり、かつ普遍的な表現世界を作りだしている。（文　フランコ・マウリッリ）<br>
<br>
<br>
太田　心郷<br>
Shingo Ota<br>
詩経より　匏有苦葉<br>
紙本墨書<br>
135×69cm<br>
2007年制作]]> 
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<name>yubido05</name> 
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<title>勇気と楽しさ、挑戦の書道</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51260694.html" />
<modified>2009-06-26T04:26:31Z</modified> 
<issued>2009-02-26T20:09:17+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:yubido05.51260694</id> 
<summary type="text/plain">大胆にも、いわゆるマンガ的表現の少女像を書道に添えるという挑戦的な作品である。この意外性ある組み合わせは、現代アートに匹敵するものであり、書道にひとつの挑戦状を叩き付けているといえるのだろう。マンガは日本が世界に誇るアートであり、他国の追随を許さない質の...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/8/c/8cc7b195.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/8/c/8cc7b195-s.jpg?160641" width="160" height="641" border="0" alt="大塩聖山花と少女" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>大胆にも、いわゆるマンガ的表現の少女像を書道に添えるという挑戦的な作品である。この意外性ある組み合わせは、現代アートに匹敵するものであり、書道にひとつの挑戦状を叩き付けているといえるのだろう。マンガは日本が世界に誇るアートであり、他国の追随を許さない質の高いものである。書道は中国伝来であるが、やはり東洋独特のものとして疑う余地はない。その両者を組み合わせたこの作品は、現代日本と伝統的な日本を融合させたものといえるのだろう。大塩聖山氏の制作は、自由である。書道の堅苦しさを突き破るようであり、痛快である。過去に習い、過去に怯えるだけでは、進展ははい。一線を飛び越えて、大胆な挑戦をしなければ、新しいものは生みだされないのである。勇気と楽しさを含んだ氏の書道作品は、そんな気概を思い起こさせてくれる。さらなる展開が何を生み出すのか、非常に楽しみである。（文　フランコ・マウリッリ）<br>
<br>
大塩　聖山<br>
Seizan Ohshio<br>
花と少女<br>
紙本墨書<br>
135×34cm]]> 
</content>
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<name>yubido05</name> 
</author>
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<title>大きなスケールの表現、そして風の表現</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51252374.html" />
<modified>2009-06-26T04:26:31Z</modified> 
<issued>2009-01-28T10:48:10+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:yubido05.51252374</id> 
<summary type="text/plain">『烈風』。堂々たる太筆が似合う言葉であり、充実の運筆を見せている。太筆の絶対的な重さに始まり、終筆でまさに風のように抜けてゆく。これは太筆ならではの迫力と、太筆の表現の多様性を示すものと言え、大黒仙雲氏の熟練の成せる技であろう。始筆はたっぷりとした潤筆か...</summary> 
<dc:subject></dc:subject>
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/7/7/77a54cf5.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/7/7/77a54cf5-s.jpg?160441" width="160" height="441" border="0" alt="大黒仙雲烈風" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>『烈風』。堂々たる太筆が似合う言葉であり、充実の運筆を見せている。太筆の絶対的な重さに始まり、終筆でまさに風のように抜けてゆく。これは太筆ならではの迫力と、太筆の表現の多様性を示すものと言え、大黒仙雲氏の熟練の成せる技であろう。始筆はたっぷりとした潤筆から入り、太さと重さを存分に強調している。濃厚な墨の色を見せて、書線の存在感を示している。また「烈風」という言葉のスケールの大きさを、ここでしっかりと定着させるという効果もあるだろう。一連の太線の運筆は徐々に勢いを増し、太く印象的な渇筆の払いへと向かってゆく。太幅のままに枯れてゆく払いの表情は、強さと儚さを同時に示すようで味わい深いものだ。スケールの表現に始まり、最後は「風」の表現へと至る。「風」の文字の払いは、まさに「風」の如く流れと方向性、動きを感じさせるものであり、我々に言葉の意を体感させる表現力を持っている。（文　パブロ・ポサダ・ペルニコフ）<br>
<br>
大黒　仙雲<br>
Senun Oguro<br>
烈風<br>
紙本墨書<br>
53×22.5cm<br>
2004年制作]]> 
</content>
<author>
<name>yubido05</name> 
</author>
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<title>「図」と「地」の対話を試みる繊細な筆致</title> 
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://yubido05.livedoor.biz/archives/51242593.html" />
<modified>2009-06-26T04:26:31Z</modified> 
<issued>2008-12-24T15:22:51+09:00</issued> 
<id>tag:blog.livedoor.jp,2009:yubido05.51242593</id> 
<summary type="text/plain">画面の中での文字の配置のバランスの美しさに、まず魅せられる。流麗な運筆が観る者を一気に書という芸術の世界へと誘ってくれる。濃い墨と薄い墨を使い分け、筆圧も右側の文字の始筆から強く入り、途中、消え入るように弱く繊細に筆が運ばれ、終筆に向かってやや強く引き締...</summary> 
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/f/2/f2d88c5b.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/f/2/f2d88c5b-s.jpg" width="160" height="431" border="0" alt="野宮晋泉宝子" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>画面の中での文字の配置のバランスの美しさに、まず魅せられる。流麗な運筆が観る者を一気に書という芸術の世界へと誘ってくれる。濃い墨と薄い墨を使い分け、筆圧も右側の文字の始筆から強く入り、途中、消え入るように弱く繊細に筆が運ばれ、終筆に向かってやや強く引き締め筆を置いている。一つの物語の構成をグラフィカルに見ている感覚がする。野宮晋泉氏は紙上のどこにスタート、クライマックス、フィニッシュのタイミングを乗せるかを、筆の勢いを生かして見事に表現している。また文字の配置の繊細な配慮は、画面の中での「余白の美」をも生み出している。これは作品のもう一つの見所である。ゲシュタルト心理学で言う「図」と「地」の理論である。紙を「地」とした固定概念を一度とり払い、「図」としての文字とどう対話させるか、その意識がこの絶妙なバランスを生み出したに違いない。文字の無い所にも創作の眼力が光る書家の真髄を見る事が出来る。（文　フランコ・マウリッリ）<br>
<br>
野宮　晋泉<br>
Nomiya Shinsen<br>
宝子<br>
紙に墨<br>
162×57cm<br>
2001年制作]]> 
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<title>親しみを込めた優美な美しさ</title> 
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<modified>2009-06-26T04:26:30Z</modified> 
<issued>2008-11-25T10:16:29+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">
流れるような曲線が美しい。しかし、単に美しいだけではない。その美しさの中に、人を和やかにさせる温かさが字体から感じられる。一行目の中盤で、文字は細く長く伸びている。そのような字体の大きな変化は後からは見られず、落ち着いた字体で終盤へと向かっている。字体...</summary> 
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<![CDATA[<img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/5/8/58a91564.jpg" width="145" height="584" border="0" alt="武藤香風伊藤左千夫の歌" hspace="5" class="pict" align="left"  /><br>
流れるような曲線が美しい。しかし、単に美しいだけではない。その美しさの中に、人を和やかにさせる温かさが字体から感じられる。一行目の中盤で、文字は細く長く伸びている。そのような字体の大きな変化は後からは見られず、落ち着いた字体で終盤へと向かっている。字体は、見る者の心との差異を生むような美しさではなく、逆に、美しさによって人を招き、見る者との心の距離を埋めるような親しみが感じられるのである。書は、人の心の動きや風景の美しさを繊細に描写する文学の要素もある。武藤香風氏の技は、文字に親しみ易さや美しさといった形体を持たせる。その形体は、視覚的効果によって作品に独特の空気を帯びさせる。そして、そこに書かれた歌の意味は、その形体に内容としての「実」を与えている。自在に操られた筆の軌跡が、心地良い世界を構築し、均衡の取れた配置が安定した美しさを見せている。氏の類稀な技量に、深い敬意を表したい。（文　オーエン・ハント）<br>
<br>
東　聖観	<br>
Kofu Muto<br>
伊藤左千夫の歌]]> 
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<title>力強さがあり、繊細で緻密な技術が織り込まれる</title> 
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<modified>2009-06-26T04:26:30Z</modified> 
<issued>2008-10-30T20:15:17+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">まず力強さがあり、その中に繊細で緻密な技術が織り込まれている。迫力と慎重さが同居する筆捌きには、強い緊張感がある。複雑な構成の漢字を作りあげている筆の動きを目で追っていると、画面に強く引き込まれて、その高度な技の軌跡に陶酔するのである。見ている私の心が真...</summary> 
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<![CDATA[<img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/4/4/4462deea.jpg" width="131" height="423" border="0" alt="野垣華吟游東林寺" hspace="5" class="pict" align="left"  />まず力強さがあり、その中に繊細で緻密な技術が織り込まれている。迫力と慎重さが同居する筆捌きには、強い緊張感がある。複雑な構成の漢字を作りあげている筆の動きを目で追っていると、画面に強く引き込まれて、その高度な技の軌跡に陶酔するのである。見ている私の心が真空になってゆくような、そんな緊張感がこの作品には存在している。野垣華吟氏の他の作品資料も拝見したが、全てに一貫しているのはこの独特の密度感と堂々たる筆捌きであろう。厳しい直線から流麗な曲線、潤筆、渇筆を自在に操り、書全体を見事に構築しているのである。心を戒め、精神を鍛練してゆく書道、というひとつの在り方を感じさせ、武道などとも通ずる技と精神の融合を感じさせるのである。形や色といった物理的要素のみではなく、表層のみでは表現することのできない書道という分野の深遠さを感じさせるのである。（文　オーエン・ハント）<br>
<br>
野垣　華吟<br>
Kagin Nogaki<br>
游東林寺<br>
紙本墨書<br>
175×53cm<br>
2000年制作]]> 
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<title>句の作者を大切にした常道の書</title> 
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<modified>2009-06-26T04:26:29Z</modified> 
<issued>2008-09-26T10:24:49+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">伸生の句「稀に鳴る　宮の鈴の音　うす紅葉」を、まことに素直に書作している。画面構成や造形的インパクトを重んずるあまり、句や詩が読めないほどデフォルメされた書が流行し、遂に「読めない書は見てもつまらない」と国民大衆に敬遠されている今日、小阪永好氏の詩文書作...</summary> 
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/8/4/8475abbe.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/8/4/8475abbe-s.jpg" width="160" height="108" border="0" alt="小坂栄好薄紅" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>伸生の句「稀に鳴る　宮の鈴の音　うす紅葉」を、まことに素直に書作している。画面構成や造形的インパクトを重んずるあまり、句や詩が読めないほどデフォルメされた書が流行し、遂に「読めない書は見てもつまらない」と国民大衆に敬遠されている今日、小阪永好氏の詩文書作品は、今ではなつかしさを感ずるほどに常道を行く作品である。まず、句の五・七・五の規矩に則り、構成分けをしていて、きわめて明瞭に、かつ文字の行書体も正当である。そして、その約束を守った上で、氏は様々な造型構成上の工夫を取り入れている。全体は大きく分けて三つの塊から成る。書き出し四文字は余白充分、ゆったり二行に、中央の五文字は字数が多い分、墨量の調節を「の」だけの二行で下方の安定を得ている。最後の「うす紅葉」は落款と一体として一つの塊を形成する為、控えめの表現に押さえている。そして、氏の造型感覚の光るのは最後の行「句」と「永」との一体化した見事な落款処理である。（文　司 雅泉）<br>
<br>
小阪　永好<br>
Eiko Kosaka<br>
薄紅葉<br>
紙本墨書<br>
2005年制作]]> 
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<title>王義之書法による般若心経の紺紙金泥書</title> 
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<modified>2009-06-26T04:26:28Z</modified> 
<issued>2008-08-23T14:52:30+09:00</issued> 
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<summary type="text/plain">「集字聖教序」は王義之書をこよなく愛した唐の太宗皇帝の命を受けて、弘福寺の僧懐仁が義之行書を中心に拾い集めて作成したもので、文は皇帝自ら製したものである。聖教とは言うまでもなく「般若心経」。その初譯は「西遊記」などで知られた玄奘法師によるものである。十七...</summary> 
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<![CDATA[<a href="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/5/c/5c94095e.jpg" target="_blank"><img src="http://livedoor.blogimg.jp/yubido05/imgs/5/c/5c94095e-s.jpg" width="158" height="92" border="0" alt="神野渓雲初譯" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a>「集字聖教序」は王義之書をこよなく愛した唐の太宗皇帝の命を受けて、弘福寺の僧懐仁が義之行書を中心に拾い集めて作成したもので、文は皇帝自ら製したものである。聖教とは言うまでもなく「般若心経」。その初譯は「西遊記」などで知られた玄奘法師によるものである。十七年にわたって玄奘は経典を広く収集し、後半生を訳経に捧げた。奈良の薬師寺では今も玄奘堂で忌日の勤めを厳修している。神野溪雲氏が挑んだのは、この玄奘初譯の「般若心経」であり、書は王義之であるからまさに最良の仕事であると言えよう。濃紺紙に金泥、行書体という条件で一心不乱の行とも言うべき緊張と静謐の時が流れたに相違ない。義之の書は実に精妙である。天来によって古法とも命名された書は、陰陽二元の法則を織り込み、筆鋒は円転して、いわゆる八面出鋒の理を展開する。ここに参究する氏の筆は個人としての時空を離れて、義之の古法と心経の空観の只中を逍遥する如くである。（文　司 雅泉）<br>
<br>
神野　溪雲<br>
Keiun Kanno<br>
初譯　般若心経<br>
]]> 
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